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100メートル、9秒で走れるフリをする・・・要は要領なのか。

私は昨日のブログに、
100メートル走るのに20秒かかる人に、「10秒で走れるようになろうよ」といった声掛けをするのは適切ではなく、
「この人は100メートル走るのに20秒かかる人なんだ。」と理解することが大切だと書きました。

でも、実際の社会は、
100メートル走るのに20秒かかる人に、「10秒で走れるようになるのは当たり前。」、
「実際9秒台で走ってくれないと役に立たないんだよね。」と言われるのが世の現実です。

だから私も、就職当初は、必死で100メートルを10秒で走れるように頑張りました。

そして、やっと10秒で走れるようになりました。

でも、それは当たり前のことで、
周囲は100メートルを9秒台で走れないと認めてくれないのです。

でも私の能力では、どんなに頑張っても100メートルを9秒台では走れない。

じゃあ、どうするの?

「9秒台で走れるフリ」をするしかありません。

どうしたら良いのかを考えに考え、
要領良く、試行錯誤し、一見9秒台で走れているフリをするのです。

そんな自分に、時折ものすごく疲れます。

昨日、仕事で昔の自分のような子が
仕事が要領良くこなせなくて、周囲から酷く非難を受けていました。
胸が痛みました。
まるで昔の自分を見ているようで。

私は、「何くそ!負けるもんか。」 「いつか・・・、いつか絶対に見返してやる。」
といった強い思いで頑張りました。
でも、その子には私と同じ思いで成長して欲しくはない。

例え成長できたとしても、心に深い傷が残ります。
もっと温かい眼で見守ってあげることはできないのか。

社会に出るって、本当に厳しいことだけれど、
肯定的なコミュニケーション。。。
本当に考えさせられます。

怒るのではなく、叱りたい・諭したいですね。



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イイトコメガネ

、私の職場(のトイレ)に少し前より貼ってある張り紙です^^

人は大人になるとついつい人の悪いところにばかり目が行きがち。
「イイトコメガネ」をかけて、ちょっと見方を変えてみると、
皆が気持ちよく働ける職場になるよ!

てな、ことが書かれてあります。

確かに、物事を肯定的に受け止める・考えるように意識するって大切ですよね。

最近、「コミュニケーション障害」について書かれた本を読んだのですが、
世の中「コミュニケーション障害」で悩んでいる人は驚くほど多いのだそう。

それも「コミュニケーション障害」は、鬱病や発達障害などのはっきりとした病名がつくひとだけではなく、
職場や学校にも1人や2人はいる 「困った人」 「ヘンな人」 「空気の読めない人」・・・ なども含まれ、

そのボーダーラインはとても難しいとのこと。

大切なのは、その人に何か病名をつけることではなくて
「コミュニケーション障害で悩んでいる人が多くいる」といった事実とその詳細、そういった人への接し方を多くの人が認識することなのかと思いました。

困っているのは、コミュニケーションが苦手な当人だけではなくて、
その周囲を取り巻く人々も同様に、日々対応に戸惑い、困っているわけです。

しかし、周囲が少し考え方を柔軟にし、他人に多様性を認め、許容することで
コミュニケーションに悩む当人も、その対応に悩む周囲も気持ちよく生活できるようになると言います。

また、そうすることが、その人の天賦の才能を発掘したり伸ばすことにもつながると。
確かに、天才にはコミュニケーション障害を持つ人が多いと言われていますね。

その本には、
100メートル走るのに20秒かかる人に、「10秒で走れるようになろうよ」といった声掛けをするのは適切ではなく、
「この人は100メートル走るのに20秒かかる人なんだ。」と理解することが大事だと書かれていました。

また「困らされている」 「振りまわされている」 ではなくて、それをその人の個性と捉えて「楽しませてくれている」
などと、自己の考え方を自分で柔軟にセルフケアしてみる必要があると。

自己肯定感の低い人には、肯定的な表現の言葉かけを常に心掛ける。
抽象的なコミュニケーションが苦手な人には、具体的な表現を心掛ける。
出来ないことに関しては、それを責めるのではなく次に生かせるような具体的な案を提示する。

これらはその本に書かれていたコミュニケーションが苦手な人に対する対応の一例ですが、
これって、決してコミュニケーション障害のある人だけではなく、すべての人に当てはまる
皆が、そうしてもらえたら嬉しい、理想のコミュニケーションなんですよね。

私たちの周囲って、暗黙の了解というか
「こういった指示を出されたら、ここまで配慮してやっておくのが当たり前。」
といったことが多いけれど、最初からもっと簡潔明瞭な指示だったら、どんな人だって動き易いわけで。

出来たことはしっかりと褒めて、肯定的な言葉で行動を評価してもらえたら、「もっと頑張ろう」といった自信につながる。

では、「肯定的な言葉かけ」って具体的にはどういった対応が挙げられるのかな?

この本を読んで疑問がわいてきました。

そこで今は、状況に合った「モノの言い方」について書かれた本を読んでいます。

どちらかと言うと、私も「コミュニケーション障害」っぽい部分があるので、
どうしたら、もっと円滑に気持ちよく、周囲と関われるのか・・・いつも模索しております。

とりあえずは、「イイコトメガネ」 を心掛け、生活してみようと思います。



どうしようもない自分を受け入れることも大切

私は、子供の頃にピアノを習っていたわりには基礎もあまり身につかず
小学生が弾くような教本をいつまでもチンタラと弾いていたわけですが、
自分が上達しなかった原因がピアノの先生の指導にあるとは思っていません。

子供の頃の私は、面倒なことが大嫌いで、苦労するようなことからはとにかく逃げていましたから。

私が自分から「練習は面倒だけれど、それでも上達したいから頑張る。」といった気持ちにならなければ、
どんなに指導力のある、素晴らしい先生にピアノを習っても結果は同じだったでしょう。

子供の頃に、もっと一生懸命ピアノに取り組んでいれば、
また、そのようなガッツが自分に備わっていれば、今とは違った人生があったのかもしれませんが、
ピアノに限らず、何せ子供の頃の私は何に対してもやる気がなかったので、まぁ仕方がありません。

「何がやりたいのかは分からないけれど、将来のために、今はとにかく何でも頑張る・・・」
といった事は出来ない子供だったんですよね。

自分が本当にやりたいことに向かってしか頑張れない、やっかいな子供でした。

ただ、成長する内にいろいろと自分のやりたいことも定まってきて、
その夢に向かって就職活動をし、好きな仕事に就き、今はそれなりに充実していると思います。

自分がやる気を出さなかったために、手に入れられなかったもの、チャンスを逃したもの・・・
たくさんありますが、それも自分です。
自分自身が、自分の責任で、選んだ人生の結果です。

まぁ、しょうがないよね、これが自分なんだから。
と思います。

たとえ何度人生をやり直しても、結局は同じな気がするんですよね(^^ゞ

自分が「本気でやりたい。」と思ったら、そこから頑張ればよいのだと思います。
出来ることは限られてくるのかもしれませんが、それも自分です。

しょうがないよ、過去に自分が怠けた結果なのだから。
やる気になった「たった今」から、今の自分に出来る最大限のことを頑張るしかないよね。
と思います。

結局、私は自分に甘いのだな^^;
いつも、自分で自分を許してばっかだものね。



「エリーゼのために」への憧れ

中学生になりピアノ教室を変わってみたら、全然ピアノの基礎が身についていないことが発覚し、
新しい教室でブルグミュラーを最初からやり直したことは、以前にブログでも書きました。

その先生の強い勧めでアップライトピアノを購入し、ハノンやチェルニーやらを弾くことになったわけです。

当時、発表会の曲も普段の曲も、私に選択権はなくひたすら基礎基礎基礎だった訳ですが、
(その割に、基礎が身についていないのだけれど。。。)
そんな私が、いつかは弾けるようになりたいと、小さな頃からずっと憧れていた曲が「エリーゼのために」でした。

ただ、この「エリーゼのために」中間部はけっこう難しいんですよね。
装飾音や速い16分音符、和音で上声部のメロディーを奏でる箇所、アルペジオ。。。
絶賛、ブルグミュラーやり直し中の私には歯が立たなかったわけですが、
親に頼んで全音ピアノピースの楽譜を買ってもらい、自宅で密かに弾いていました。

結果、何度も弾くうちにすっかり暗譜してしまい(暗譜と言っても、ただ手が覚えているだけですが^^;)
大人になった今も、鍵盤を触れば手が思い出すんですよね。

私が楽譜がなくても弾ける、そして何年弾かなくても何故か忘れない、唯一の曲です。

子供の頃の記憶ってすごいですね。

ただ、耳に馴染んだ旋律のため、きちんと譜読みをしないで弾いていたようで
大人になり、よくよく楽譜を見直してみたら、おかしな部分がチラホラ・・・。
音間違えはないけれど、リズムとか、休符とか・・・微妙に間違ってるし(^^ゞ
子供時代の私がいかに適当に譜読みをしていたかがよく分かりました。

反省反省。。。



電子ピアノで合唱・・・でもちょっと怖いかも

レッスンにも通わなくなり、ここ最近すっかりのんびりモードの私。
今日はシンフォニア13番を電子ピアノの様々な音で試し弾きして遊んでいました。

すると・・・、電子ピアノの音の中に「人の声のような音色」を発見。

低音は男性の声、高音は女性の声で、鍵盤を押すと
「ア~、ア~。」とその音程の人の声が奏でられます。

何これ(笑)、聴きようによってはちょっと不気味・・・?^^;

電子ピアノの液晶画面を見てみると、『クワイア』と表記されています。

調べてみると・・・、
・合唱、合唱団
・聖歌、聖歌隊
・ゴスペル音楽の聖歌隊。また教会堂内の聖歌隊席。
といった意味なのだそう(ウィキペディアより引用)。

なるほど納得(^^ゞ

そしてその音でシンフォニア13番を弾いてみると、
なんとも綺麗な3部合唱に!!!

3声の曲なんだから、綺麗に各声部の声が絡み合うのは当然なんだけれど、
この曲は、ピアノで弾くよりも合唱の方が映えるんじゃないかと思うくらい本当に綺麗でした。

なんだか、ヨーロッパのどこかの教会に居る気分に^^

電子ピアノおもしろい(^o^)/

バッハおもしろいヽ(^o^)丿



難聴なのか、集中力が足りないのか。

定期健診の聴力検査で異常を指摘されたことはないのですが、
私、明らかに他人よりも聴力が劣っているような気がするのです。

雑踏の中での話し声や、テレビドラマの細かいセリフなどが特に聴き取り難い。
電車の中での友人との会話もそうだし、

あと、私の参加しているピアノサークルは基本誰かが弾いている最中も雑談OKなのですが、
ピアノの音や他の方の話声で、話しかけられても内容が所々聞き取れなかったり。。。

特に困るのが、仕事で小声で早口で話す人。
たまに1~2回訊き返す程度なら、許されると思うけれど、それが頻繁になると訊き返すのも気が引ける。

同期に、〇○さんの声がよく聞き取れなくて困っている。
と相談すると。
「私も聞き取り難いし、けっこう訊き返すよ。あとは訊き返すのが面倒な時は、想像して動いちゃうこともあるよ(笑)」
ふ~ん、想像ねぇ。

聞き取り難いと思っているのが自分だけではないことを知って少しホッとしたけれど、
それでも、どう見ても皆私よりは聞き取れているように見えるんですよね・・・。

これって難聴なのかなぁ・・・と、実はずいぶん前から悩んでいます。

あと考えられるのは、集中力不足?会話の予測能力不足?
それとも、ただの気にし過ぎ???

多分雑踏の中の人の声など、特定の音を聴き分ける能力が劣っているのではないかと思うのですが。

もちろん仕事や日常生活に支障をきたすレベルではありませんが、
やはり相手の話を遮ったり・訊き返したりすることなく、会話はスムーズに進めたいですよね。



         
プロフィール

ぱるトロワ♪

Author:ぱるトロワ♪
ご訪問ありがとうございます。
2012年9月より、14年ぶりにピアノを再開しました。
レッスンや練習の記録、日々の出来事などを想いのまま綴っています。
現在は、自宅の電子ピアノを中心にたまに実家のアップライトを使用しつつ練習しています。
いつかグランドを手にする日を夢見て、「毎日練習」を目標に頑張っています。
よろしくお願い致します。

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